国連の考え方 2
もう一つの挫折例として考えておきたいのは、1934年12月に発生したイタリア・エチオピア事件です。
イタリアのエチオピア侵略に対し、エチオピアは、中国がそうしたように、規約第11条に基づいて理事会の開催を求めました。
ところが、イギリスとフランスは、イタリアとの関係を配慮して動きが鈍く、有効な措置がとれませんでした。
連盟の軟弱な対応もあって、イタリアはますます公然とした侵略に走りました。
ただし、この挫折例に関しては、のちの国連が武力による制裁をとる前に非軍事的な措置をとる仕組みを組み込む点で貴重な先例となったことを踏まえておきましょう。
つまり、イタリアによるエチオピア侵入から1年近くあとになって連盟理事会は、「イタリア政府は、規約第12条(紛争の平和的解決)に基づく制約を無視して戦争に訴えた」とする委員会報告を承認(1935年10月)し・・・
理事会議長は、第16条(制裁)に基づく義務はすべての加盟国に課せられていると述べ、イタリアに対する経済制裁措置を発動する用意があることを示しました。
そして総会は、その議長の立場を支持しました。