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2010年12月 アーカイブ

中国の政治と経済 9

なぜなら、頭をもたげたアメリカは単に警察官としてだけとどまるのではなく、必ず中国の政治体制やイデオロギーに干渉してくる可能性が強いと、中国は受け止めているからです。


時事雑誌『瞭望』が掲載した中国現代国際関係研究所の周紀栄氏の論文は、この点を次のように踏み込んでいます。


「アメリカの指導の下、西側工業国は政治的には"民主・自由・人権"の旗印を掲げ、経済的には私有制や市場経済を推し進あ社会主義を根本から変えようと謀り、西側先進国による"自由新世界"に天下統一を果たそうとするだろう」。


李鵬首相は、NHKのインタビューにこう述べています。


「新秩序のかなめは、すべての国が大小・強弱・貧富の別を問わず国際社会の平等な構成員でなければならないということです。


中国は、平和共存5原則の基礎の上に新秩序を打ち立てることを主張します。


国際問題は平等に参加して話し合いで解決すべきで、ひとつ、またはひと握りの大国の独り舞台は許されません」。


ポスト冷戦、ポスト湾岸戦争後の中国外交のこの基本方針は、この後、中国指導者が外国要人と会見するたびに繰り返されています。


李鵬首相は、さらに5月初めに訪中した日本の政治家との会談で


「中国には『只許州官放火、不許百姓点灯』(州知事は放火してもいいが、庶民はローソクを灯すことも許されない)という言葉があります」とまで語りました。


ポスト冷戦体制の下での「アメリカ1極支配」「新覇権主義の台頭」への強い警戒を示しています。

生産すること

外化され物化されたものの壮大な体系ができあがってゆく過程は、人間の労働の世界がその豊かさを失い、その中味のすべてを、物化されたものの側に移行させてゆく過程でした。


OpenSSOのような労働の中にあった、人間が道具を手にして対象にいどんでゆくという活動の様式。


これは、外化されたものの総体を所有しあるいは道具として使いうる人間の活動と、外化されたものの総体にその機能を発揮させるために仕える人間の活動とに、はっきり分離しました。


後者の領域では労働はますますその内容を失って貧しくなっていきます。


そこで失われたものは単に自然に対する対象的働きかけや、人間の労働をとおしての社会的つながりだけではありません。


何よりも失われたものは、《自分の腕をたずさえてそこを立ち去る》ことのできる職人の自由なのです。


立ち去ることの可能性が職人の主人に対する「自由」のための武器になりえたのは、立ち去られることへのおそれが主人の側にあったからです。


工程の能力の大部分が職人のものであってはじめてそれは可能でした。


工程の能力の大部分が装置の側にあり、装置は主人の「所有」である条件の下では、関係は全く逆転します。


労働者は装置とつながりをもつことではじめて「生産」できるのです。

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